the replacementsとぼく

sokabekeiichi_diary2008-03-10

夜、部屋の片付けをしながらザ・リプレイスメンツの『Don't Tell A Soul』を聴いていて、不覚にも泣いてしまった。
1989年にリリースされ、ごく一部で絶賛されたこのアルバム。当時のロッキングオンにおいて異常なまでに推薦されていたため、四国に住む高3のぼくも発売日にレコ屋に走り、遠いミネアポリスのロックンロールバンドと繋がったのだった。しかしストーン・ローゼズ率いるマッドチェスターの狂躁が誌面を踊る中、この時代遅れなロックンロールは少し肩身狭そうだったのをよく憶えている。

あれから20年近くが経って、東京でミュージシャンをやってるぼくは、今夜再びこのアルバムを聴いている。
でもあのときとはまた違った音が、そこからは聴こえている。
言い換えると、匂いのようなものでもある。

リプレイスメンツは長いこと路上生活を続けるしがないロックバンドだった。
初期はパンクで、そのあとはパンクがちょっと前進したロックをやっていた。
音はカッコ良かった。でもそれ以上ではなかった。ぜんぜん売れなかった。だれも評価しなかった。その前に、マスコミが評価するべきポイントを、彼らは持っていなかった。
でも音はカッコ良かった。

これはすごくよくある話。
というか、ほとんどの良いロックバンドはこのようにして終わっていく。

でも、彼らは違った。
なんらかの理由があって、バンドをやり続けた。もしくは理由なんてものは、なかったのかも。
状況はちょっとづつ良くなったかもしれないし、変わらなかったのかもしれない。
とにかく彼らは路上生活を続けたのだ。

ここまでも、すごくよくある話。
祝何十周年なんて言いながら、くだらないことをやり続けてる人たちもいっぱいいる。

そして、バンドが終わるちょっと前に彼らはこのアルバムをものにした。
このレコードを聴くと、彼らが(意識的か無意識的かはさておき)ある光に向けて突き進んでいたことが理解できる。
なんにも起きそうにないしがないロックンロールバンド生活のなかで、彼らはこのアルバムみたいに銀河系が砕け散るような輝きを、その瞬間だけを待っていたのだと思う。
なんにもなかった人生のただ一瞬だけ、このロックンロールバンドはちゃんと輝いたのだ。
これは、めったにない話だ。でもいちばん美しいたぐいの話。

ここには、彼らがバンドワゴンで走ったハイウェイの長さと同じだけの力強さと、彼らが味わった挫折と後悔の数だけのメロウネスがある。
そして「今夜、オレは最高に輝くんだ」という期待と若さに溢れまくっている。

アルバムの半分を待たずしてぼくが泣いてしまったのは、こんなアルバムを、こんなアルバム「だけを」自分もいつか作りたいと思ったからだ。


一曲目「タレント・ショウ」でヴォーカリストはこんなふうに歌う。

 さあ、行こうぜ。今夜オレたちはタレントショウでプレイするんだ。
 ピルのおかげで、気分もいい。ギター持って、さあ行こうぜ。
 タレントショウでプレイするんだ。

 人生のでっかい瞬間だ。ちょっと緊張してきたよ。
 さあ次だぜ。
 たぶん勝てるんじゃないかな。
 タレントショウだぜ。

 あともどりするには、もう遅すぎる。
 さあ、行こうぜ。