日記

ある夜みんなで話してて、このままダウンロードで音楽を聴く習慣が進めば、遅かれ早かれCDというメディアはなくなるのか否か、という議論に。
ちなみにそこにいるほとんどの人がパソコンで音楽を聴いてた。
CDを買ってもパソコンに取り込んで聴くんだって。
これじゃあ、ディスクやジャケットは意味ないね。

パソコン一台あればすべて完結する世の中は、狭い日本という国においてはとても合理的だし、簡潔を良しとする日本の美学にも合っていると思う。みんなが抱えてる住宅の収納の問題も軽減されていくはず。

音楽を作ることも今やPRO TOOLSという安価なソフトの爆発的な普及で、パソコン一台で可能になった。どこのスタジオでも、あのばかでかいミキシング卓やマルチトラックテープレコーダーは無用の長物になりつつある。
結果的にレコーディングはローコストになり、だれもが自宅に簡易スタジオを持てるようになるだろう。

これらのことは世界のみんなが望んだことであって、利益こそあれ、問題点を見つけるのは難しいだろう。
いくつかのCDショップやレコーディングスタジオは閉店するかもしれないし、テープやミキシング卓の会社も潰れるかもしれない。
でもまあ、人類の進歩と発展のためだから、しかたないことなのだろう。


ああ、我が愛すべき太古の恐竜たちよ。
時はいつも流れ、すべてのものは失われていく。

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20年くらい前に、新譜のアルバムがだんだんCDでしか発売されなくなってきた。それまではLPとCDのどちらも発売されていた。
もっと前はもちろんLPしかなかった(カセットテープもあったけどね)。
CDプレイヤーを持っていないぼくは、とても焦りはじめた。
そのうち、レコード針はもう買えなくなる、とかいうプロパガンダのようなものも広く喧伝されるようになった。
そして1989年にはストーン・ローゼスのファーストアルバムもフリッパーズのファーストアルバムもCDでしかリリースされなかった。
そのとき、日本のミュージシャンやリスナーのほとんどの人はそのことに異を唱えなかったし、アナログからデジタルへの進歩にとても自然に追随した。
今までレコードを大切に宝物のようにしてきたぼくは、そのときすっごく悔しかった。
これらの宝物たちは、もう意味のないものになってしまうのか、と思った。

そして今、CDを売る仕事をしている身としては不謹慎きわまりないが、CDの危機を耳にし「ざまあみろ」と心の中で舌を出してる。
でも、CDを聴いてそれを宝物にして育ってきた若い世代にとっては、ダウンロードがCDに取って代わるということは、20年経っての同じ悲劇の繰り返しに過ぎないだろう。

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最後のひとりになるまで、音楽をアナログレコードで聴いていたい。
大げさな理由はなく、ぼくの心がそう言っているのだ。
レーベルをやってみて、アナログ盤がほとんど求められていないことも、売っても利益につながらないことも、よく分かったけど。
今日ぼくはできる限り自分の音源はアナログ盤でもリリースしようと誓ったよ。

『東京コンサート』をアナログでもリリースしてほしい、といういくつかの声は、20年前のぼくの叫びかもしれない。
ぼくにはそれに応える義務がある。