ある日の日記

岡山へ向うバンドワゴンの中、最後部シートで熟睡していたぼくは、すごく聴き覚えのある歌声で目が覚めた。
フリッパーズ・ギターの「恋とマシンガン」が大きな音で流れていたのだ。
運転をしてたのはケニーくんで、彼はフリッパーズ・ギターをいちども聴いたことがなく、この長距離ドライブのなかでちょっと勉強しようかなと思ったのだそうだ。
ぼくは、高校3年から予備校時代にかけて、フリッパーズ・ギターに文字通り恋をしていて、もう雑誌の切り抜きなんか集めちゃってたから、その車では昔つきあってた娘に突然出逢ったみたいな気分で、ちょっと赤面しちゃったのだ。
ケニーくんは、「う〜ん・・・」とか言いながら、それを聴いている。今の二十代にはどう響くのか、想像がつかないようなつくような・・・。
フリッパーズ・ギターストーン・ローゼズは好きという言葉を通り越して憧れてたバンドだったけど、その熱病のような時期以降、ぷっつりと聴くことはなかった。だからこの車中は、十数年ぶりの再会だった。

ケニーくんは「う〜ん、どうもいまいちこないですねえ」とか言っている。
「おいおいそんなことないでしょ。ちゃんと聴いてよ」
「でも、なんかおしゃれなギターポップですよ?」
セカンド『カメラ!カメラ!カメラ!』に対してこんなことを言うケニーくんに、わりと(当時の記憶では)ロックな3枚目『ヘッド博士の世界塔』を聴くことを勧める。
しかし、どうもこの諦めに満ちたメッセージがピンと来ないらしい。

「こんなどうしようもない世界に舌を出して、自分たちが創り上げた虚構の世界に逃げ込もう。それこそがリアリティだ」
ひらたく言うとそんな彼らのありかたが、当時はすごく新鮮だったし、渋谷系と呼ばれる若者たちの精神を代表していた。それはセックス・ピストルズの思想とも繋がっていたし、時は90年代初頭、9.11もなかったし、バブルの残り香も鮮明だった。
現在は「この世界をどうしようか」ということが、また議題となる。
「こんな世界、どうにでもなっちゃえ」と言うと、怒られてしまう。
そしてぼくも、残念なことに、この当時色鮮やかだったフリッパーズ・ギターの音楽に心躍らなかった。
時代が変わったのか?ぼくが変わったのか?おそらくすべてが変わったのだ。そしてそれは、ちょっと喜ばしいことでもある。
どちらにしろ、世界は刻々と変化し続けていくのだ。ぼくらの思惑をよそに。

小西康陽さんが監修した渋谷系のコンピが出るんだって。サニーデイも入るらしい。
ちょっと聴いてみたいな。