春を待つ人 pt. 1

青山ブックセンターで本のトークショーとサイン会。
小田島等くんを迎えていっしょに喋る。
『虹を見たかい?』の最初のエッセイが、引っ越しやそれとともに人生が移り変わっていくことについての文章だったから、それにちなんで引っ越しの話が多くなった。

ぼくは東京に来て15年間で4回引っ越しをした。
3度目に住んだ小さな一軒家にはものの半年ほどしかいなかったため、実質、ひとつの場所に5年近く住んでることになる。

最初に住んだのは練馬区。入学した大学に近かっただけが理由。
そのころは東京にいることだけが目的だったから、この辺りがいいとかどうとかはまったくなかった。
それで氷川台という小さな地下鉄の駅の町に住んだが、これが本当に閑散とした町並で、深夜開いている店もほとんどなく、なんだかなぁ、という気分で日々を過ごしていた。
でもその何もなさがぼくは逆に好きで、アパート(コーポという言葉がとても似合う)の前を流れるあまり風流ではない川沿いを、よくぶらぶらと散歩した。

ある日こんなことがあった。
ぼくが夜アパートに帰って来ると、目の前の川をはさんだ対岸の一軒家の辺りがなにやら騒々しい。
その昔からあるであろうお屋敷風建物をよく見ると、野次馬にまざって警察(もしくは自衛隊)の特殊班、いわば爆弾処理班のようなものものしい格好の人たちの姿が見える。
なんだなんだと思い観察していると、どうやらその家に爆発物(のように思われるモノ)が見つかり、家の人たちは避難し、特殊班がそれを処理しようとしている最中だったようだ。
静かな中、まったりとした緊張感がその川沿いを支配していた。
ぼくは自分もこんなところにいてはもしものことがあったとき危ないじゃないか、と思いつつもなんとなく、そのほのぼのとした町には不釣り合いな、でっかいヘルメットをかぶり分厚い防火服のようなものを着た人たちが作業するのをずっと眺めていた。
それはまるで月面軟着陸した宇宙飛行士たちが、スローモーションで動くのを見ているようだった。

小一時間ほどが過ぎ、野次馬は一人また一人と減っていき、処理班も作業を終え、その屋敷はいつもの古風な佇まいに戻った。
まさに「何事もなかったように」。
ぼくは、爆発物だと思われたモノは実は危険なものじゃなかったことが判明したのだろう、と解釈したが、真相は分からない。翌日の新聞のどこにも、その夜の出来事は報じられていなかったのだから。

練馬のアパートに住んだ二年間でもっとも印象的なのが、そのときの風景である。
あとは煙草を吸いながら散歩したり、真夜中コンビニで立ち読みしたりして過ごした。

そのあと、長く住むことになる明大前のアパートにぼくは引っ越すことになる。