one year

不意を打たれるように12月に突入してしまった。
一年間という時間のまとまりがあやふやなこの12ヶ月だったので、2007年の自分をちょいと振り返っておこう。

2007年はアルバム「ラブシティ」の後仕事から始まった。
同アルバムの何曲かをダブ化した「ダブシティ」というアルバムを作ろうとするも、頓挫。
アナログ盤はカッティングも終わっていたにもかかわらず。
ダブの深いエコー空間に自分の制作意図自体が溺れてしまったようであった。
これは残念な出来事だった。
しかし、「魔法のバスに乗って」のB面「青空DUB」にてリベンジを果たせたように思う。このミキシングのライブ映像はマイスペースで見ることができる。


そして、その無念を抱え、すぐアルバムのレコーディングへ。
曽我部BANDとして初のオリジナルアルバムを作るべく。
二週間ほどかけて十数曲を録るが、頓挫。
旅の目的地がだれにも見つけられなかったことが原因だが、これにも悔しい想いをした。いくつもの曲が忘却の海へと消えていった。
すべての敗因はスキル不足にあり、と、ふたたび黙々としたライブサーキットへ戻る。

初夏にはDJの岩城ケンタロウくんと山荘にて合宿レコーディング。
「テレフォンラブREMIX」の延長上にあるアンビエントなフォークを作ろうとしていた。
数日の滞在中に充実した数曲をレコーディング。
しかし、諸般の事情で続行が不可能になり、頓挫。
いや、頓挫ではない。
ぼくもケンタロウくんも、完成を誓いつつ、一旦、休戦したのである。

あぁ、形を授かることのなかった我がリビドーたちよ。

もちろん、「運良く」世に出たものもある。
「blue」もそうだし、こんど出る「おはよう」もそうだ。
それらの作品をぼくは愛している。
そして、深く暗い創造の夜へと霧散していった作品たちも、おなじくらい愛している。