bonjour tristesse

明け方、仕事場から家に帰ってくる。
リビングはどこかの国の複数名のゲリラに襲撃を受けたかのごとく散らかっている。
ぼくはそれをひとつづつ片づける。


夕べは娘とひどいケンカをした。
実際にはケンカではない。
娘が一方的に激怒したのだ。
発端はぼくのちいさなミスだった。
いや、小さなではない。彼女にとっては、おおきなものだった。

娘は大声で泣きながら、ぼくを熊のぬいぐるみでめちゃめちゃにぶった。
妻が「足が取れちゃうから、やめなさい」というまで、ぼくはぶたれ続けた。

それからぼくは仕事に出た。
そのころには娘は機嫌を良くして、まるでさっきのことなど忘れたかのようだった。
でも、ぼくのこころは熊にぶたれた傷によって出血が止まらない状態で、
服は彼女の流した涙でびしょぬれだ。

そのままタクシーに乗った。
そして、深夜の仕事をした。
悲しみにすっぽりとつつまれたまま。

仕事場から妻にそんな気分をメールした。
返事はなかった。
一瞬、残念に思ったけど、同情されるよりはましだと思った。

そのうち、ぼくをすっぽりとつつんだ悲しみは、まるで真冬のコートのように、
もしくはプラスティックのちいさなシェルターのように、ぼくのことを守りはじめる。
ぼくは、ぼくの悲しみのなかを泳ぐ魚になる。
そして、できることなら思いっきり自由にそのなかで泳ぎたいと思う。


部屋を片づけながら、自分の人生がどこへ向かっているのか分からない。
でも、これは旅の途中なんだと理解する。
旅のさなか、ぼくはいくつもの悲しみの海を渡らなければならない。
悲しみはぼくを見捨てはしないだろう。

部屋はすこしづつきれいになっていく。
もう野戦病院のロビーくらいには、きれいになった。