春を待つ人 立志編

何と言っても花粉の季節である。
今日なんか、ひどいそうだ。
デスクの志保ちゃんもケニーも鼻がヤバいことになってるみたいだし、娘のハルコも朝は涙目だった。
何を間違って現代人は花粉なんかにやられてしまう生き物になったのか・・・。


かく言うぼくも、数年前までひどかった。
ぼくの場合は初夏に起こるのであった。
目はショボショボして、鼻水は止まらない。アタマがぼーっとしてなにも思考できない状態。
いろんな人に相談して、免疫注射をインジェクションしてもらおうかとも考えていた。

それが、ふと、治ったのである。

数年前。
何年何月何日かが特定できない。おそらく5年くらい前か。
ある頃から「あ〜今日は花粉少ないなあ〜」とか思ってたら、それ以来出て来ないのだ。

他人に言うと「えーーーー!ホントですかーーーー?!」と、必ず疑われる。
ぼくをちょっとおかしなことを言う人のように見る目にも慣れないので、最近は花粉症だった過去を、あまり明かさない。
でも、出ないものは仕方がない。

ぼくも、そのことについていろいろ考える。
何がきっかけで治ったのか、と。
とくに努力をした記憶はない。
煙草と酒をいっぺんに辞めたことがあるが、それが原因だろうか、とか。
でも、そのあと酒はふたたび呑み始めた。
なにかの拍子に体質がドラスティックに変わったんでしょう、と言う人もいる。
しかし、身に憶えがない。


ある仮説がある。

ぼくが花粉症になったのは1991年、東京に出てきた年だ。
これは間違いない。はっきりと憶えている。
なぜはっきりと憶えているか。
それは上京したてのぼくが「ああ、やっぱり(花粉症に)なったぞ」と思ったからである。

当時、ぼくが田舎で暮らしてたころは回りに花粉症の人なんて少なかった。
しかし同時に、東京の人には花粉症の人がとても多い、という情報も四国の片隅にいるぼくのアンテナはちゃんとキャッチしていた。
テレビの中でも、まるで全国共通の言葉であるかのように、「花粉症」というキーワードはひらひらと舞っていたものである。

ぼくは憧れてたのだ。
花粉症に。
それはまるで、都会に暮らす人たちだけがかかる贅沢な伝染病のようだった。
都会の生活者が花粉症の苦しみを参ったような笑顔で訴えるとき、ぼくはそこにぼくの知らない甘美な情報量を、密かに感じていた。

だから、「ああ、やっぱり(花粉症に)なったぞ」と思ったのであった。

こうも言い換えられる。
「ああ、ちゃんと(花粉症に)なったぞ」。


つまり、ぼくはまるで想像妊娠のように、想像花粉になっていたのではないか、と。
自分が都会の生活者の仲間入りをした証拠に、「それ」になったのだと。

裏付けるように、ぼくは花粉症になったことに対して悪い気がしていなかった。
それどころか実家の親にも「オレ花粉症になったわ〜〜〜」などと、半ば自慢げな報告をしていた気もする。


花粉症が治癒したという話から導き出される、この忌まわしいコンプレックスとそれから逃れようとした即席の茶番劇。
横溝正史の小説よりも複雑に絡み合ったこのストーリーに、しかし、明確な答えはないだろう。
ただ東京という街にちょっとなじんだ自分がいるだけだ。

そしてぼくは今日も春を待っている。