SOKABE'S AWARD 2009

さあ、大晦日

ずっとスタジオ作業中のぼくだが、ちょっと休憩してコーヒーでも飲みながら、今年触れた音楽や映画で、心の深い場所に残ったものについて書きたい。


映画はスペースシャワーで小さなコーナーをやらせてもらうようになって、今までよりも観るようになった。
しかし、ぼくが選ぶのではなく、紹介する映画は事前に決まっているのだけれど。

そんななか、ひょっとしたら自分からは観なかったであろう作品で素晴らしかったものが『カティンの森』という映画だ。

第二次大戦中、ポーランドカティンの森というところで実際に起きたドイツ軍によるポーランド軍の将校・兵士たちの大量惨殺事件。

戦争をモチーフにした物語りとしては、かなりリアルで重いものである。

「おもしろい」「たのしい」という感情からは遥か引き離されつつもどうしようもなく心にのしかかってくるのは、ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダの「この映画を撮らなければならない」という想いの果ての無さによるところだろう。
事実、監督の父親はこの事件において、殺害されている。

この事件についてぼくはほとんど無知だし、戦争映画というだけで多少のアレルギー反応を示してしまう方なのだけど、自分が体験した歴史を映画としてもう一度克明に再現し、それをトレースすることで自己と自己の歴史を再生させんとするエネルギーに圧倒された。
リアリズムを追求したシンプルでストイックな映像は、しかし、最近のどんな映画よりも美しかった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/カティンの森事件


もう一本、今年の大好きな映画というと『脳内ニューヨーク』だろう。

これは、ひとりの劇作家の物語り。
彼がいかにして物を創りながら生き抜いたか、のお話。
寓話のようでいてホラーのようでもあり、人生の真理に触れているようでいてまるででたらめな映画。

「愛ってなんだろう」「芸術とは」etc...そんな人生のあれやこれやの疑問がバラバラに散らばっていて、観客はそれらを拾いながらも答えを出せずにふらつく主人公と一緒に混沌の海を航海することになる。多分に船酔いしながら。

監督は映画のなかで起こる事象をなにひとつ解決させることなく、あるひとつの美しいエンディングを用意してくれる。
素朴で、とてつもなく素敵な物語りのおわりを。

どことなくぼくの大好きな『マグノリア』に似ているかもしれない。
どちらも歩くと才能のしずくがポタポタこぼれそうなほどに才気にあふれたアメリカの若者が撮った映画。

しかしこの監督は才能が自分に押し付けてくる正しい枠を、どんどん壊しながらものを創っていく。
傑作など無いのだ、形などできないのだ、と言わんばかりに。
ものを創る人にとっても、とても切実な映画だろう。

と同時に、いまの世界をスクリーンに映し出した素晴らしい映画だった。

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音楽部門は、いろんなのを聴いたけど、最終的に一枚!っていうと迷ってしまうなぁ。
というか、もう音楽の聴き方が作品主義ではなくなってきたのかも。

そういう意味で言うと、いちばん印象的だった音楽の「鳴り」は、以下のような場面でのことだった。



今年のクリスマスイブ、ぼくは妻と食事に出かけた。
代官山にある、ちょっと豪華なレストランへ。

クリスマスイブに妻とふたりで出かけるなんて、子どもができて初めてだろうから、8年ぶりとか?
というか出逢ってすぐ子どもができたし、その前は遠距離だったから、ほとんど初めてのことなんじゃないだろうか。

だから、ぼくたちはちょっと豪華なレストランを選んだのだった。

しかし、ぼくはその日いつもの汚れたスニーカーを履いていた。
そのことに妻は腹を立てた。
せっかくこんな日なんだから、と。

ABCストアを探そうとするぼくに、妻はもういちど腹を立てた。
いい感じのレストランなんだけど、スニーカーなの?と。


それでぼくは、たいして持ち合わせもないなか、代官山のAPCへ飛び込んだのだった。

まだオープンしたかしてないかの時間、店員さんたちはあわただしく動いていた。
だからぼくらが店に入ったとき、まだ店内には音楽が流れていなかった。

ぼくはまっすぐに、黒い革靴のところへ。
いい感じのシンプルなブーツ。

しかし値は張る。


そこで、音楽が流れる。

ニック・ドレイクの『ピンク・ムーン』。
そっと始まったその音が、店内にゆっくりと充満していく。



「それにしときなよ」妻が言う。

「そうだね」
と、ぼくはその黒いブーツをレジへ持ってった。



PS その後勢い勇んで向かったレストランのドアマンは慇懃な態度で、こうぼくたちに告げた。
「本日は終日貸し切りでございまして」。



みなさん、よいお年を。