日記

時代が21世紀になったころから、ぼくはぱたっと海外旅行をしなくなった。
それまでは、自分の自由になるお金ができたころからは、一年に何度となくいろんな国を訪れた。

旅と旅と旅の記憶。

それぞれが大きな見知らぬ刺激で、旅で得た感覚が音楽を作ることにいつもフィードバックしたし、そのことが次の旅への拍車になっていった。
ぼくはそんな人生を、ずうっと過ごすつもりではいたのだ。

小雨の舞うロンドンのマーケットで、熱気にあてられたホーチミンのレストランで、ぼくは確かに優雅な孤独を享受していた。
だだっ広い世界の真ん中で。

そしてその孤独を感じることが、ぼくにとって、自分自身のサイズを測ることだったし、自分の外の世界の大きさを感じることだった。
たとえ恋人といっしょだったとしても、ぼくはだれかとの距離を測る必要があったのだと思う。

      *           *            *

旅をしなくなったのは、子どもを持ったのも大きな原因ではあったかもしれないが、たぶん、どこか知らない場所に旅をする理由が見つからなかったのだと思う。
ぼくは「ひとりである必要」や「ひとりになる必要」から遠ざかってしまった。
家族という名の限定された世界観の中へとすべり込みながら。

あるひとつの世界を確立してそのなかで生きることに、いったいどんな意味があるのだろうか、
とか
実際に自らが稼働することなく、暮らしの中で意識の中心への旅をすることが果たしてできるのだろうか、
といった疑問がここ何年か潜在的にぼくの深いところにあったし、それはぼくを今でも支配している。

環境が自分にとってのシェルターのようなものになったときから、旅する心とともに、畏れや恐怖心からも人間は遠ざかっていくのか。

いろんな国のいろんな言葉でスタンプが押されたぼくの汚れたパスポートは、期限切れのまま引き出しの奥で時間だけを重ねていた。

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数日間訪れた香港はだからほんとうにひさびさの海外旅行だった。
向こうでは友人たちといっしょだったものの、ぼくはやっぱりひとりだった。
「これが世界だ」という例の感が皮膚の下にすぐに戻ってくる。
そしてぼくは知らなかったひとたち、それはつまり知り合う必要もなかったかもしれないひとたちと、たくさん知り合った。
そんな出来ごとは、まるでアクセスの優れたネット回線のように気持ちが良い。

コンサートは毎晩大盛況だった。
ぼくは十六歳の少女たちにサインを求められた。
香港で出逢ったある女性に「あなたは感謝しすぎるタイプね」と言われた。
夜の港、とてつもなく高いビルの群れのてっぺんあたりを覆っていた灰色に輝く霧。
それらのシーンが全体像の見えない刺青のようにハートに刻まれていく。

まあたらしいぼくの赤いパスポート。


<世界はすべてがナチュラルに繋がれるほど小さい/世界はだれも把握できないほどに絶望的に大きい>

二律背反する想いを乗せて、またジェット機が飛び立つ。