日記(のようなもの)

レコーディング中の深夜、曽我部BANDの4人でラーメンを食べに恵比寿へ。
ドラムのオータ氏に導かれるまま、裏通りの感じの良い店に入る。
すると聴き覚えのあるビートが。

マニュエル・ゲッチングの「E2-E4」。延々50分間続くエレクトリック・ギター・シンフォニー。
淡々とした機械のビートと脈打つようなシンセのシーケンスの上をギターが生き物のように浮遊し続けるこの曲は、ハウスの始祖とも言われている。
この人は1960年代中ずっとドイツでハードなアシッドロックをトリップ仲間たちと奏でていた。そのグループ名を<アシュラ・テンペル>という。
グレートフル・デッドとはまた違うミニマルでメタリックなループ感が、解放なきままに聴き手を捕らえて放してくれない。

彼がグループ崩壊後<スタジオ・ローマ>と称する個人スタジオで実験を重ねた結果のキラキラした結晶が、いま恵比寿に降ってる。
ぼくの注文したラーメンにもその結晶が「さっ」とかけられたようで、おいしかった。
店を後にするときも、そのビートが淡白な見送りをしてくれた。

ありがとうさようならごきげんよう

そしてぼくらは、また車に乗り込む。
漂白された深夜。


その後、レコーディングは翌朝まで。


翌朝、下北の事務所に機材を戻す。
ギターの上野氏とパスタでも食おうかと、ぽかんと晴れた下北の街へ。
しかし朝10時ということもあり、まだパスタ屋開いておらず。
小一時間お茶でもと、スタバへ。
スツールに腰掛け入り口の外にある白く晴れた通りをながめてた。
すると店内のスピーカーから聴き覚えのある声が。
わけもなくおさえられなくなった涙のようにあふれるこのメロディを、ぼくは知っている。
というかよく知ってた。

エリオット・スミスの「WALTZ #2」。
この奇跡のように美しいちいさな曲を、どのくらいぶりに聴いただろう。
いや、ぼくにはその月日がわかっている。
以前つき合ってた恋人と別れて以来、だ。
ぼく(正確に言うと「ぼくら」)はこの曲を愛していた。
なにもない夜に、よく口ずさんだ。
エリオットの放っておくと消えてしまいそうな歌たちは、ぼくらの部屋の屋根のように壁のように、そこにあった。
ロンドンで見た彼のライブは、生涯のベストアクト。
シンプルなトリオ編成で鳴らされる「WALTZ」は、レコードで聴くのとはちがって、でっかい悲しみだった。
暗い照明のステージで、彼はほとんどなにも喋らず、淡々と歌い演奏した。

明るい陽射しのスターバックスで、突然解凍されてしまった記憶がテーブルに溢れ、どうしようもなくなる。
そのうちそれらはぽたぽたと床にこぼれ落ち、過去の隙間へとしみこんで消えてしまった。
歌もいつのまにか知らない女性が歌う別の曲に変わっていた。


確かなこと:エリオットはもうこの世にはいない。

確かなことその2:言うまでもなくその恋人は今はぼくの恋人ではない。彼女はたぶん外国にいて、ぼくはそのことを全然知らない。


漂白される午前。
ぼくはしずかにアイスコーヒーのストローにくちびるをつけた。