young, alive, in love

慶一さんとのバンド、SEA SICK SAILORS=船酔い水夫たち、という名前だが、夕べはそのバンドのライブが渋谷で行なわれた。
会場中にTシャツが吊るされてて、遭難寸前の舟のような舞台。

ぼくらも魔術的音楽航海に没頭しているうちに、船酔いしてしまった。
とにかく、素晴らしいライブだった。
ツアーというのは、終わるころに何か楽しさがつかめてきて、もうすぐ終わるのが急にさみしくなってくる。
それまでが楽しくないわけではない。あくまで無我夢中なのだ。

ツアーは最高の遊園地での一日のようだ。
夕暮れにはかならず、やり残したいくつかのことを後悔し始める。


慶一さんのソロコンサート@東京ということで、いろんな方々が見にきてくださる。
よしもとばななさんには可愛い手紙をいただいた。
エンケンさんにも久しぶりにお会いしたし。
矢吹申彦さん、青山陽一さん、湯浅学さん、小倉エージさん、萩原健太さん・・・。

しかし、ぼくが問題にしたいのは、終了直後の楽屋に入ってきたある女性のこと。
ぼくは若かりしころ、ずいぶん若かりしころ、そのひとをものすごく好きでした。
たぶん初恋のひとだと思う。
「愛」のことはよく分からなかったが、とてもとても愛していた。

原田知世ちゃんである。

小六のぼくにリスペクトを表して「ちゃん」づけで呼ばしてもらう。
(今、名前を漢字変換した瞬間に、ものすごくキュンとした)

映画少年だったぼくは小六のある日『時をかける少女』という映画を観て、人生が変わった。
しかし好きになった人のことを文章化するほどつまらないものはないので、これ以上は書きたくない、というのが本心だ。
だから原田知世ちゃん(・・・またキュンとしてしまった)がどれほど素敵だったかは、もう触れない。そっとしといてください。

部屋にはポスターを貼り、彼女の歌ううたをずっと聴いた。
彼女はそれから何年か(少年にとっては永遠のような長さだ)ぼくの心に住んでいた。


そして夕べ、そのひとはまえぶれもなく、ぼくの目の前に現れた。

にわかに、キュン死しそうになる。

慶一さんは知世ちゃんをプロデュースしている。
遠くないところに、彼女はいるのだ。

でもそんなの関係ない。
映像なんかで慣れてるつもりになっていても、ハートに刻印された初恋の傷は消しようがないのだ。
知世ちゃんは、ぼくにも会釈して「すごく良かったです」というようなことを言ってくれた、が、ぼくは「ありがとうございます」という単語を蚊の鳴くような声で発声するのが精一杯だった。
あとはとにかく、感じた。

ほとんどあぶないひとだが、許してほしい。
ルーツに忠実でいたいだけなのだ。
というか原体験がぼくを放してくれない。


小泉今日子さんと仕事したときもそうだったが、いくつになっても男は少年だということを、心が勝手に証明してくれる。


あたふたと落ち着きのない人生である。