もうそろそろ朝
もうそろそろ朝だ。本当は家にいたら子供たちを起こす頃。
でもいまは春の雨が降る米子のホテル。
パソコンでキューブリック『アイズ・ワイド・シャット』のサントラを流す。
先日、下北沢のレコファン(閉店してしまうらしい!残念・・・)で300円で買ったCD。
キューブリックでいちばん好きな作品。
どれも好きだけど、リアルタイムで映画館に何度も足を運んだはじめてのキューブリック作品だったから。
サントラを聴いていると、いろんなシーンを想い出す。
この曲はトムクルーズが這入った女の子の部屋で流れてた曲だ、とか。
サントラを聴いていて気持ちいいのは、映画をもういちど追体験してるような、ちょうどその作品をモチーフにしたテーマパークを散策しているような気分になるとき。
そして、もういちど観たくなっちゃう。
夕べ、京都・磔磔でのライブ。
おもいっきり歌えた。
そのあと、天下一品総本店へ。
勢い込んで行ったが、いざ食べると、ちょっと重い。
このごろはすっかり和食好きに転向してたから、この濃さはけっこうくる。
「痩せた」とよく言われるが、食べ物の好みがラーメンとかからお蕎麦に変わったのも大きい。
美味しいお蕎麦屋さんにはいって、ぼうっとしながら、盛り蕎麦を手繰るのが最近の好みだ。
ダイエット本は書きません。
撮影はどちらも Sweet Baby Tomo
はるいちはるいち
ここ数年は毎年のように誘っていただいているこのお祭り(フェス?ま、なんでもいいが)に今年も出ることができる。
やるほうも、きくほうも、音楽を心底愛してる大阪人があつまって、みんなで手で作っているイベントだ。
ぼくが生まれた年に生まれたこのイベント、途中中断はあったものの、40年、手で作られてきたというわけだ。
みんな、ともだちのように「はるいち」「はるいち」と呼ぶ。
ぼくがずっとレコードで聴いてきた最高のミュージシャンたちが、たくさん出る。
そんな人たちが楽屋にわんさかいて、酒盛りしてる。
楽屋で見てると、たんなるおっちゃんたちだったりするのだが、ステージで歌うと存在そのものが凶器のようになったりする。
まったくおそろしい。
あべのぼるさんが歌うのを最初に見たのも、春一番でのこと。
そしてそれが、最後になってしまったのだが。
親友の豊田道倫くんが「あべさん、すごいよ」と教えてくれて、ステージのかぶりつきで、あべさんのマジックアニマルズ、その大所帯バンドでの演奏を聴いたのだった。
どこに行こうとするでもなく、発せられて、そのまま夜空に消えて行くような歌たちが、とんでもなく清々しく、凄いものを見たと思った。
そのとき会場で買ったマジックアニマルズのアルバムは今でもよく聴く、自分のライブ会場でもかけたりする宝物。
このアルバムは、素晴らしすぎるから、アマゾンには売っていない。
欲しい者が旅しながら、それぞれの場所で見つけ出すことになっている。
アマゾンで買えるアルバムもなくはない。
このAZUMIさんとのふたり組<牛ふたり>の仙台の焼き肉屋さんでのライブもとんでもないシロモノ。
これを評す言葉をぼくは持っていないので、とにかく「歌の原型」のようなものに感動を憶えてしまう人は聴くべきだと思う、と言っておこう。
牛ふたり(あべのぼる AZUMI)『オーイ オイ LIVE in 白頭山』
最近出たのが、なんとあべさんのラストライブの音源。
豊田道倫くんが幸運にも録音していた音をCD化したものだ。
亡くなる直前のライブだが、あべさんの歌は生きてるときからすでに天国と繋がってるのだった。
あべのぼる『LAST LIVE~何も考えない』
さ、寝て起きたら、あの緑の公園で、ぼくは音につつまれてるはず。
*春一番ライブCD、1972年版はエンケンさん、友部さん、はちみつぱいなど、涎垂もの。おすすめです。
アタマの写真は蒜山(ひるぜん)高原サービスエリアで蕎麦を食べる直前の曽我部恵一BAND。
(ぼく以外のメンバーはテレビに釘付け)
<おまけ>
米子のマックのドナルドは、なかなかに兄貴的態度。
深夜0時を廻るところ。
深夜0時を廻るところ。
BGMはMOS DEF。好きなラッパーはたくさんいるが、この人はなんか、特別。
知的でもあるし、メロウでやさしいところもある。
のんびりしながらも、標的から視線は外さないような、そんな雰囲気。
『BLACK ON BOTH SIDES』というこのアルバムには”UMI SAYS"って素晴らしい曲があって、実はぼくんちにもひとり”うみ”ちゃんがいるので、他人事とは思えない。
今の家に引っ越して三年が経つが、やっと自分の部屋のステレオをセットした。
といってもまだレコードしか聴けないが。
いままでは、仕事場でしか音楽を聴かなかったので。
なんか心境の変化である。
最近は映画をたくさん観た。
逃避したい気分なのです。
おもしろかった作品も、ずっと寝ちゃったのも、映画館を出てすぐに忘れちゃってるやつもあるのだけど。
夕べ観た『不思議惑星キンザザ』は最高だった。
ソ連のSF。
ファンタジーはこうあるべし、って感じの完璧さ。
渋谷のシネマヴェーラであと何回かやるみたいだから、もう一回くらい行こう。
もう一本、下高井戸シネマで観た『阿仆大(アプダ)』という中国のドキュメンタリー映画。
もう一週間経つが、この映画の持つ時間感覚が体から抜けて行かない。
映画の持つ底知れなさをこれほど感じた作品もない。
生涯のベストの一本に違いない。
どうしてももう一度観たいが、まだ予定がないようだ。
息をのむような、本当の美しさがあった。
ああ。。
『阿仆大(アプダ)』詳細 YIDFF: 2011: インターナショナル・コンペティション
明日からはツアー再開。
京都〜米子と続く。
ちなみにMOS DEF が歌う"UMI"はアラビア語で「母」の意味だそう。
Home and Sweet
いま実家の二階のベッドのうえ。
今夜の高松での弾き語りはホントに楽しかった。
急な告知なのに来てくださったみなさん、どうもありがとうございました。
いろんな人が来てくれた。
知ってる人も知らない人もいたけど、みんなどこかでつながってる気がした。
すごくいい気分だった。
夕べは高校生のときにいろいろ教えてくれたり遊んでくれてた、別の高校のふたつ上くらいの先輩がやっている居酒屋で飲んだ。
壁には最高のレコードが飾ってあって、その先輩は今でも音楽が死ぬほど好きなんだってわかる。
もうあれから20年も経つけど、なんにもかわらないなんて、なんてあっけらかんと素敵な!
ベッドに寝っころがって、窓の外を見上げると、目が悪いぼくにもキラキラと星がたくさん見える。
星以外は、真っ暗な夜。
たまに貨物列車が走る音。
そんな感じで、今日は眠ろうと思います。
夏休みの日記
今日、帰省していた家族が東京に戻るので、ぼくの夏休みはいったんここで終了。
そんなわけで、夏休みの日記と言えば夏休み最後の日にまとめて書く、というのが定番なので、それにしたがいつつ。
毎年、夏休みはそうなのだが、家族がまとめて実家に帰ると、ひとりきりのがらんとした家は、90パーセントの開放感と10パーセントのさみしさで満たされる。
はじめは、外でご飯食べたりお酒飲んだりして何時に帰宅してもいいもんね、なんて開放感を謳歌しているのだけど、じょじょにさみしさのパーセンテージが増してくる。
子どものきゃーきゃー騒ぐ声にずいぶんエネルギーもらってたんだなあ、とか考えたりして。
普段はうるさくてかなわないんだけど。
だから夏休みの最後は開放感とさみしさがちょうど半々の、微妙な感じ。
でもこれは小学校の頃から変わらないのかもね。
* * *
とてもとても印象に残った映画を映画館で二本観た。
ロバート・アルトマン監督の『ナッシュビル』。
テレンス・マリック監督の『ツリー・オブ・ライフ』。
『ナッシュビル』は1976年の映画。
20人以上の人々がカントリーの聖地ナッシュビルで過ごす数日間を、だれを主人公にするわけでもなく描くドラマ。
一見お互い関係なさそうで、実は微かに絡みつつ、ラストではみんながひとつの体験を共有する、という、ぼくの大好きな『マグノリア』のひな形のような作品。
メタフィクション具合がくせになり、この夏二度も映画館へ足を運んだ。
『ツリー・オブ・ライフ』は心底震えて、観終わった時は言葉がなかった。
『2001年宇宙の旅』が表現した、人智や善悪を越えていく絶対的で無慈悲なる美(神)。
この映画は、でもその先にある、それすらも凌駕する人間の心や魂や命の持つ美しさを描いているようだった。
こんなふうに書くととても観念的で自分でもイヤになるが、とにかく心のふかいところに染みてくる、清流のような映画だった。
魂や愛といった形なきものをフィルムにおさめようとするする監督の執念に、やられた。
あとはDVDで観た新藤兼人監督の『どぶ』も良かったなあ。
* * *
曽我部恵一BANDのレコーディングはとても難航。
その制作から離れている日は、ライブ以外だと無いと言っても過言ではないが、出口の光、さっぱり見えず。
が、これに関しては、ライブをやりながらそこに近づくしかないなあ、と思っている。
たぶん数歩は進んでるはず。そう信じながら続けよう。
* * *
夏フェスも楽しかった。
弾き語り、真夜中のライジングサン。
最高に暑かった日のロックインジャパンでのソカバン。
詳しくはライブブログをのぞいてください。
震災や原発事故のことで、いろんなネガティブな要素もあったが、それでもやっぱり夏は夏だった。
蝉がうるさいくらいに叫び、汗はぽたぽたと落ちた。
今年もぼくの汗は地面に黒いしみをつくった。
ひとつひとつがこの夏の想い出だ。
いやいやまだ、夏のイベントは続くのですが、ま、なか締めということで。
「オレの夏のサウンドトラック」。
今年は総合的に見るとキャプテン・ビーフハートと彼のマジックバンド『トラウト・マスク・レプリカ』だったかな。
キャプテン・ビーフハート率いる楽団も、この宇宙をひっくりかえしてちゃぶ台の上で丸めたような音楽を1969年の魔夏に作っていたのだ、なんて想像しながら。
荒野へ。
曽我部恵一BAND(ソカバン)のレコーディングが始まった。
まだスタジオに入って数日だが、三歩進んで二歩戻るような日々である。
充実しているというべきだろう。
つっかかって転げそうになりながらも、足は動いているという意味で。
バンドは素敵だ。
困難さを糧にしているという点で。
終着点はまだ見えるはずもなく、道しるべもないまま、とにかく音が響く方角をたよりに、このまま歩いてみようと思う。
* * * *
ブラッドサースティブッチャーズのドキュメンタリー映画『kocorono』を観た。
今年の始めの公開時に映画館で観るつもりが、自分のツアーと重なって行けずじまいだった。
DVDになったのを見計らい、すぐさま手に取った。
淡々と飾ることなく我が道を行くブッチャーズの歩みを、淡々と飾ることなく映し出した、ドキュメンタリーだ。
よくある超人気ロックグループの映画みたいに、ハデなことが起こったりは特にしない。
うらやましいロックンロールライフも映らないし、女の子たちに囲まれたロックスターも登場しない。
ただ普通にブラッドサースティブッチャーズがバンドをやっているだけだ。
ずっと同じようにやり続けているだけだ。
バンドを続けて行く秘訣や、その先にある答えなども映りはしない。
そんなことだれも知らないのだから。
この映画が映し出すもの。
それは、ロックバンドの素敵さのすべてだ。
そのくらべるもののない美しさだ。
大ヒットのないロックバンドを続けて行くことは、たいへんそうだ。
観ればだれもがそう思うだろう。
お金の問題は、いつも背中にぴったりとくっついている死神のようだ。
そしてなにより、人間関係。
仲良しで、なんにも問題なく進んで行くバンドなど、いないはずだ。
それぞれに能力や人間性に差異がある。
複数で転がって行くなかで、そのことは強い足かせになるだろう。
この映画を観たら、だれもがそう思うだろう。
そして、バンドを続けている人は、みんなそのことを知っているだろう。
でもここにはそんな圧倒的な事実を越えて高らかに笑う生がある。
バンドは生き物だ。
そして生き物は生きているだけで、素晴らしいのだ。
どうしても生きなきゃならないのだ。
そしてその力は、お金や人間関係なんかが指一本さわれない場所で大音量で生きる音を奏でるのだ。
それがロックバンドの素敵さだ。
バンドをやりたい少年少女、いまもバンドを続けている少年少女は、絶対このフィルムを観るべきだ。
ブッチャーズが好きかどうかは、それほど関係ない。観れば好きになる。
そしてバンドは今日もどこかで、生々しいシンフォニーを奏でているだろう。
神のみぞ知る。
昨日の原宿でのアナログフィッシュとのライブのあと、前野健太くんとてんやで天丼を食べ(てんやの天丼はうまい!)、タクシーで仕事場へ戻ったのだが(仕事をしようと思っていた)、部屋に入り数分と経たないうちに熟睡してしまった。
そして気付くと今日の午後。
計算すると14時間くらい眠っていたということになる。
トイレも行かずに。
疲れがたまっていた、というのもあるだろうが、夢を見たかったというのもある。
というのも三日前、前野くんとエンケンさんとのツーマンライブに行ったのだ。
そこでエンケンさんの純音楽に、ハリセンを食らわせられたチャンバラトリオのように目が覚めたのは言うまでもないのだが、あらためて名曲「満足できるかな」を聴いて、すごい曲だなと心底思ったのである。
この曲はエンケンさんが夢のなかで見たという愛猫の寝図美ちゃんがエンケンさんの首を切るシーンを歌ったもので、言うなればただそれだけの歌なのであるが、なんとロックなことか。
この曲が冒頭にあるからこそ、アルバム『満足できるかな』はとんでもない未知の大宇宙を描くのであって、
最近の風潮である「ロック(ポップス)はなにか大事なことを歌わなきゃいけない」というような暗黙の了解が馬鹿馬鹿しくなるような壮大な力を持つものである。
それでその日以来ぼくもなにかおもしろい夢を見て、それを歌にしてやろう、と決意したのだった。
そして、この14時間の睡眠で見た夢は、
(1)子どもに怒られる夢、(2)音楽インタビュアーに怒られる夢、
のふたつでした。
・・・よって、曲にはならなかったが、疲れはとれた。
目覚めると真っ昼間。
水を飲み、サングラスをかけて、外に出る。
晴れた空が、気持ちいい。
学生時代なら、ここから映画をハシゴしたりしたような、そんなからっぽの空模様。
携帯に電話。
娘から。
「なんかご飯買ってきて〜」
「お好み焼きとか?」とぼく。
それで、下北沢の街のお好み焼き屋へと、歩き出した。
もうこんな日に映画をハシゴする状況でもないようだ。
お好み焼き屋に入る。
豚玉を2枚と、広島焼きを1枚と・・・。
そのとき、店内の小さなスピーカーからビーチボーイズの「God Only Knows」。
きらきらとした陽光に脳が満たされる。
すーっと浄化され昇華するぼくの日曜日であった。