MAN'S MAN'S WORLD.
2006年のクリスマス。それはジェイムス・ブラウンが亡くなった日になった。
オレは昼頃から、なぜかJBのCDを家のリビングでかけていた。ふだんリビングでCDなど聴くことは,ないのだが。リビングでのプレイリストの主権を握っているのは,常に妻だ。しかしそのとき妻は便秘で苦しんでいた。よってオレの選曲を拒む者はいなかったのだ。
『REVOLUTION OF THE MIND』。心の革命。1971年製の黒光りする必殺のライブ盤。
黒人音楽の殿堂”アポロシアター”で暗躍するJBのどこまでもピュアでロウな欲望。
日々を切り裂くようなそのエッジに、オレの魂も踊っていた。
夕暮れ時になって、オレは彼が亡くなったことを知った。
もちろんオレは偶然JBのCDを引っぱり出して聴いていたわけではなかった。JBの魂が、オレの魂に命令したのだ。妻は「世界中にそんな人たち、いっぱいいるかもね」と言った。その通りだろう。
JBの想い出。
なにを隠そうオレはJBと言葉を交わしたことがある。たった一度だけ。
2000年ころ日本で行なわれたフェスにオレは出演した。JBもそれに出演した。
オレたちがラウンジで食事をしていると、突然現れたJBとそのクルー。場は静かにざわめき立つ。外人ミュージシャンたちも、遠巻きに写真を撮ったりしはじめる始末。
まったく気にせず、もくもくと飯を食うJB。
オレとJBは同じテーブル。その距離はわずか1メートルほどであった。
そのうちJBの横に無言の列ができはじめる。サインをねだろうというつもりの、世界中のミュージシャンたち。一流ミュージシャンがただの音楽少年に戻る瞬間。
オレも「行くしかない」と思い、彼らの後ろに。
JBは数人の人たちにサインした。そしていよいよ次はオレの番だ。オレはJBに声をかけた。「・・・プリーズ」と。声は震えていたと思う。するとJBはオレの方を見やって<例の>しゃがれた声で「ノーモー(NO MORE)」と言ったのだった。
これが、オレとJBが会話した瞬間。もしくはオレとJBのソウルが交じりあった瞬間だった。
そして立ち尽くすオレを尻目に、JBは再びソウルフードを口に運び始めた。
ジェイムス・ブラウンは「ゴッドファーザー・オブ・ソウル」と呼ばれている。
オレの愛する音楽の基本の基本のところに彼の指紋があって、だれもそれから逃れようともしない。
そしてジェイムス・ブラウンは「ハーデスト・ワーキング・マン・イン・ショウビジネス」とも呼ばれている。
彼の絶え間ない努力と世界への深すぎる想いは、彼の体が滅んでも、ずっと街を覆い続けるだろう。
オレはただただ「ありがとう」、と。