えん




いろんな縁を感じた一週間。




      *      *      *




イメージフォーラムでカサヴェテスの『ラブ・ストリームス』を観る。


愛を、求めることと失うこと。
140分にわたって、このふたつが表裏一体の交響曲を奏で続ける。
暴力的なまでの諦観、狂気に近い優しさ。
物語りのあいだちゅう、ずっと息が苦しいような感じがした。
先週観てかなりずっしりときた『別離』も、これと比べるとまだ救いがあると思った。


特集上映<ジョン・カサヴェテス・レトロスペクティブ>。
期間中にもう一度はこの『ラブ・ストリームス』を観るつもり。


ただ、イメージフォーラム、最前列はスクリーンまでの距離がすごく近くてかなりハードル高し。




      *      *      *




ニュースサイトCINRAの取材で、世田谷美術館

日本を代表する銅版画家、故・駒井哲郎の生涯を辿る展覧会をみてきた。


駒井さんのことは存じ上げなかったのだけれど、忘れられない出逢いになった。


静かな美術館で、ゆっくり独りの表現者の生涯に対峙すること。
その素晴らしさを体験できた。


芸術作品に接するということは、その芸術家と知り合うことだし、彼の人生の苦悩や喜びをほんの束の間でも共有することなのだと、あらためて感じた。



曽我部恵一と行く世田谷美術館『駒井哲郎1920-1976』展 - コラム : CINRA.NET





      *      *      *





毎日のようにお店の前は通っているけど入ったことのなかった鞄屋さんBLANC-FAON。
ご縁があって、白いトートバッグを購入。

ずっと使ってたLL BEENがぼろぼろになったので、ちょうどトートバッグ買わなきゃと思っていたところだった。


ひとつの縁がはこんでくれるこんなモノたちをずっと使って生活できたら、とても素敵なことだと思う。



BLANC-FAON






      *      *      *







次女の補助輪を外しての自転車の練習。


長女のときとおなじ公園で。

長女は丁寧に乗り方を教えて数日で乗れるようになったが、次女はどうもひとに指導されるのが極端に嫌いなようで、自分で勝手に乗り始め、目を離しているあいだに勝手に公園をぐるぐる走り廻っていた。


あたりまえだけど、みんなぜんぜんちがう。






      *      *      *





曽我部恵一BANDツアー、このあとは北へ北へと。



<曽我部恵一BAND TOUR 2012>詳細です。 - NEWS - 曽我部恵一



日蝕と食パンの朝


現在、ツアーがちょうど折り返しくらい。


ステージで歌を思い切り歌っているとき、日々のいろんなことを忘れることができる。
悩みや、苦しみや、迷いといったものが、自分の力となっていくのを体感する。

これはちょっと不思議な感じで、それ以上うまく説明できない。
(ときには歌うことで、さらなる苦しみを背負い込んでるようなときもあるにはあるのだが。)


今夜。いまこの瞬間ぼくは歌っていなくて、部屋でビートルズの「サムシング」を聴いているのだが、ぼくの魂はぼくに「はやく歌いたい」って言っている。


長いツアー、ずっとライブを続けることは、自分の体に歌をできるだけぴったり引き寄せておくということだ。


数日空くと、歌はもうどっかへ飛んでいこうとする。




曽我部恵一BANDツアー2012
<曽我部恵一BAND TOUR 2012>詳細です。 - NEWS - 曽我部恵一





      *      *      *      *




渋谷で『別離』というイランの映画を観てきた。


素晴らしい、いい映画だった。

生きること、人と関わることのどうしようもなさ(悪い意味じゃなくてね)をきちんと撮っていて、勇気ある美しい映画だと感じた。





      *      *      *      *




今朝、金環日蝕は見れなかった。

子供たちを送り出すためのいちばんバタバタした時間と重なってしまった。
それでも、長女はパンをほおばりながら「日蝕用のメガネ、コンビニで買ってきて!」と叫んでいたが。

まあまあ、次の機会まで待ちましょ。


今日それを体験したひとに聞いた金環日蝕の様子は、とても美しくて、その想像だけでもちょっと得した感じである。



Shimokitazawa Concertのおしらせ

ぼくが下北沢440というハコで、去年から毎月主催しているイベントがShimokitazawa Concertです。


毎月、ぼくが聴きたいなと思う人たちに演奏してもらっています。


いろんなタイプの音楽家たちが出演しますが、どの人たちも、その人にしかできない音楽を奏でる間違いなく素敵な音楽家たちです。



Shimokitazawa Concertは毎月第三木曜日の開催で、基本的にはぼくを含め三組のミュージシャンが出演します。

今月は5月17日です。



今月の出演者を紹介します。


とんちピクルスさんは、ウクレレを弾いたりしながら歌ういかにも人の良さそうな男性ですが、気を抜いて微笑んでいるうちに、とんでもなくロマンチックな地獄みたいな天国みたいな場所に独りぽつんと放り出されていることに気付かされるような、そんな魔法のような歌を歌う人です。





NRQはある喫茶店で耳にしていっぺんで大好きになった四人組の楽団です。

そのときに買ったアルバムは夜の都市のモノクロ写真のジャケットで、タイトルは『オールド・ゴースト・タウン』といいました。


その音はさみしげであたたかくて、それこそ、いまはゴーストタウンになってしまったかつて栄えた都市にふと残されてしまった楽団が、その街の隅で真夜中に演奏を始めたようでした。


最近出たばかりのあたらしいアルバムは『のーまんずらんど』といって、辺りにはまだ人影が見えませんが、楽団は少し楽しそうに演奏しているようです。




今月のShimokitazawa Concertは5月17日木曜日、下北沢440で開催です。


平日の夜にビールでも飲みながら、素敵な音楽にひたってみませんか?



詳細はこちら
<曽我部恵一 presents "shimokitazawa concert" 第十七夜> @東京 下北沢 440 (four forty) - LIVE - 曽我部恵一




夏の空が見えて・抽象的旅路(四国編)



四国をまわっているともう青空がすっかり夏だよと言っているようで、ずっと春を待ってたぼくはなんだかめんくらって可笑しくなってしまうのでした。


たまに肌寒くもあるのだけど、四国はやはり南国なのだなあと感じる。
果物も甘くてでっかい。



旅のあいだ、ちょうど志賀直哉『暗夜行路』を読んでいて、主人公が四国にわたる場面で自分も高松にいたりして、大正時代の恋の面影をそこここに勝手に見つけてはほくそ笑んだりしたのだった。



ひさしぶりの讃岐うどんは、美味しかった。

最近東京ではお蕎麦にはまっていたから、あ、まったく別の食べ物だ、なんて思った。


・蕎麦はずるっとやったときの鼻に抜けるなにかが大事。
・うどんはつるっといったときののどごしが重要。






今日、高知の日曜市をぶらぶらしていると、露天を出しているおばあちゃんに話しかけられた。


おばあちゃんは木彫りをやっていて、かなり達者なのだけど、いまはなんとかという武将の肖像を彫っているらしく、その悲しみに満ちた抽象的な顔を彫るのがなかなか難しいのだという。

そういうときはこれ(そのとき彫っていた可愛いお地蔵さん)を彫ったりして、気を休めてまた集中するとうまくいったりするのだそうだ。


そんなことを真剣な顔で話して、おばあちゃんは最後に豪快に笑った。






そして曽我部恵一BANDのライブはと言いますと、回を重ねるごとにぼくの知らない場所へ、車飛ばして向かおうとしてるようです。



夏の幻を探す旅、または、おぼろ月夜のドライブのように。


では、また次の場所で。









追記、超おまけ



うつくしき


徳島のホテル。


昼にチェックアウトすべく、ギリギリに目覚める。


当然、遮光カーテンは閉めっぱなし。


だって夕べここに着いたのは夜中の五時。


とにかく、ひらいた文庫本一行読み終わらないうちに、熟睡してしまった。


観念して、ベッドから這い出し、カーテンを開ける。と、こんな風景。



「ここどこだっけ」



夜の湯気で、すっかりくもってしまった町。


一瞬、うる星やつらビューティフルドリーマーの世界にまぎれこんだかと思った。






徳島の今日はとてもいい天気で、夏みたいだったから、

今夜のライブから、夏の曲がセットリストに加わったのであった。



おなじ頃、東京は嵐だったというのにね。





新町川のほとりで写真。


ケンちゃんを合成してアーティスト写真にしたいくらいだ。


少数派であるときに


渋谷で、ゴダールの『ありきたりの映画』を観てきた。


当然ながら「ありきたり」の映画ではない。直訳すると「あたりまえの映画」という意味らしいのだけど、なんかぼくの直感としては、「つまらない」映画、と言いたかったのではなかろうか、ゴダールは。


1968年のフランス五月革命のさなか、原っぱに座って政治的な議論をする数名の男女がえんえん映し出される。
彼らの喋ってる表情は、草むらの陰になってまったく判然としない。

彼らの会話はとめどなく四方に分散し(しょうもない話になったりもする)、そこに他の誰かの様々なモノローグもコラージュされる。

いちいち話を追っていく必要もないのだろう。

およそ100分にわたって、まあそんな感じだ。


ときおり、当時のパリの政治行動の様子がドキュメンタリーとして、インサートされる。
それらざらっとしたモノクロの記録映像は躍動感に溢れていて鮮烈でカッコいい。


しかしその集団的闘争の盛り上がりは、すぐに、円座を組んだヒッピー男女の個人的ダラダラ話によって分断されてしまうのだった。




これが映画か?と問われると、「はいそうです」としか答えようがないのだけど、その理由は説明できそうにない。


どこがおもしろいの?と問われても、映画っておもしろくなきゃいけないんですか?と返すしかないだろう。



ひょっとしたら、「つまらない」ということは、「個人的」と言い換えてもいいのかもしれない。




ゴダールは、自らの「ごくわずかの人にしか見られなかった」映画について、こんなふうに言っていて、ときとしてその言葉はぼくを勇気づけてくれる。



 でもわれわれにとっては、ある種の映画は、二、三人の人によって見られれば、それだけですでに成功した映画と言えたのです。つまり私が言いたいのは、ある女性が母親と子供の関係についての映画をつくり、その映画について自分の母親や娘と語りあうことができれば、たとえその映画を見るのがその二人だけであっても、それはすでになにかだということです。(中略)だから私が思うに、ごくわずかの人に見せるためにつくられるべき映画というものがあります。


ジャン・リュック・ゴダールゴダール 映画史(全)』(ちくま学芸文庫/奥村照夫・訳)より




にちようび



街をブラブラしてたら、雷がなって、急にどしゃ降り。


幼児が突然わがまま言って大泣きするように、思い切りひとしきり降ったら、ぱたっと止んだ。


空には、卵パックを下から見たような、クラゲたちが密集してたゆたっているような、めずらしい雲が出た。


なんか気持ちいい空気感で、街をブラブラするのが楽しくなった。



ユニオンで中古レコード数枚。
ずっと昔に手放してしまっていたCRASSの『PENIS ENVY』。800円。



最近は無性にズタボロな音が聴きたい。
流麗で甘い音には何故だか耳を塞いでしまいたくなる。

なぜだろう。



5月8日にその下北沢のディスクユニオンでインストアライブをやらせてもらう。

いつも音楽を買いに出かける場所で音楽をやるのは、とても楽しみだ。



そして、今週からは四国ツアーが始まる。
四国4県をぐるっと廻ってみる。



5/10(木)徳島 club GRIND HOUSE
5/11(金)香川 高松 オリーブホール(スペシャルゲスト:島津田四郎 tonari session's)
5/12(土)愛媛 松山 サロンキティ
5/13(日)高知 X-pt.


ぜひ、来てください。